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生まれたてのスクランブルエッグ

ミレーの絵に出てきそうな風景。
イタリア中部、オルチャ渓谷のピエンツァから丘をいくつか挟んで、並んだ糸杉の先にあるアグリを訪れた。
4部屋のみの小さなアグリだけれども、のぞむ景色はぐるりと360°。
オーナーのおばあちゃんはミラノからこの土地にやってきて、土台しか残っていなかった家を改築してこのアグリを作ったとのこと。レンガを組み、景色を眺める窓を作り、まわりにはオリーブ、桃、ぶどうの樹を植え、にわとりを飼い、茄子やスイカ、トマトなど野菜を作り、花を植える。そして雨が降り、太陽が光を注ぎ、夜が来て、また朝が来る。
繰り返し。シンプルな、単調な繰り返しではあるけれど、その繰り返しが少しずつ根を張って、そこにあるべき姿になっていく。
それぞれにあうスピードで、静かに深く根付いていく美しさ。
昇ったばかりの太陽の光のなか、にわとりが生んでくれた卵。
スクランブルエッグはとっても濃い味がした。
いのち、いただきました。にわとり、ありがとう。
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救い出されたアルバム

晴れても嵐でも泣いても笑っても、太陽は昇って月も昇ってくれる。
でも、今やらなければ取り返しがつかなくなるかもしれないことだってある。

海水投入が遅れたせいで原発は爆発し、測定器の手配が遅れたせいで被曝した人がいて、飼料の手配が遅れたために内部被曝した牛たちが汚染した血肉を捧げ、津波をかぶった田んぼは人手の不足のためただ土のまま空を見上げる。そして、人生の思い出が詰まった写真たちは、泥とカビで表面をおおいつくされようとしている。

以前より気になっていた「思い出サルベージ」。被災地から運び出されたアルバムの救出の手伝いに行ってきた。
手作り表紙の幼稚園のアルバム、少し大人になった中学校のアルバム、産まれた子の成長記録と家族のアルバム、遊び盛り時代のアルバム、モノクロからカラー写真に変わっていく戦友会のアルバム...。
そのひとつひとつが人生のある”イベント”の瞬間に撮られたもの。
そしてその一枚一枚に、撮る人と撮られた人たちの関係、眼差しがあった。
このアルバムに写った、そしてこれを撮った人達は、今無事でいるだろうか?
写真たちがまだ写真足りえる状態にある今のうちに救わないと、思い出がまたひとつ、消えてなくなるかもしれないんだ。
人は一度生まれれば、二度と死ぬことはない。ということを誰かが言っていた。
なぜなら、人の記憶の中でその人は生き続けるから、と。
確かに。でも何か、何か記憶の「よすが」が欲しい。
そのひとつが、きっとこの写真。このアルバム。
一枚でも多く、誰かのために。

私が作業に参加した宮城県山元町はいちごの産地で、夕暮れになるとポッと灯りのついたビニールハウスが並ぶ、あたたかい風景が広がっていたとのこと。
山側の方を眺めると、生き残ったビニールハウスがひとつ。がんばれ。
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タオルミナで明けまして。

新年明けましておめでとうございます。
今年の年明けは地中海の南に浮かぶシチリア島タオルミナで迎えました。
大晦日で心配していたけれど、メイン通りのお店やレストランは営業してくれていてひと安心。
レストランはパーティー貸切りとか、自分達のパーティーをするとのことで、いつもより早く閉めるお店があるけれど、食事するには問題ない。
非常食としていつも持ち歩いているカロリーメイトで大晦日を過ごすかもと思っていたから、ありがたやありがたや。
路地ではおめかしした男の子が爆竹鳴らして得意顔。
歩いている人達はキミが鳴らしていることバレバレなのに、スカしてる表情がやけに可愛い。

そして夜はますます更けて、テレビでは紅白歌合戦のような番組が始まる。
日本ではもう初詣の列がたなびいているだろうなという頃に、花火の爆音が鳴り始めた。
ホテルの部屋から見える海岸に上がる花火は、距離がありすぎて光と音がバラバラで、静かな水面に水滴が落ちてできた王冠の花のよう。
見とれているうちに、テレビではシンガポールの、ロンドンの、パリの、カウントダウン年明け風景が映っていく。

さあ、また新しい年。
今年もがんばるぞ〜って沢山の人が思っている、そんな夜明けって、やっぱり特別だ。
うれしいことが、楽しいことが、たくさんありますように!
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青く豊かな森へ。

さらりと北へ。
長いことお世話になってきたフォトグラファーのN先生を訪ねてきました。
どんなに不安定なモノ達も手なずけ、ひとつの世界を作り上げてしまうブツ撮り先生。
オフにお邪魔して、日本版モンサンミシェルと海岸に連れていってもらいました。
冬の海だけあって寒そうな波が大きく立っていたけれど、足元の砂浜(というか貝浜?)には二枚貝、ホタテ、ムール貝、ゆるやかなガラス片、などなどが沢山ごろごろ。貝塚かと思うほど。
そこでN奥様が不思議な貝を発見!
アンモナイトのような、動物の角のような、ふくよかな、でも透き通るほど薄い貝。
中身の住人は既にいなかったけれど、この中で暮らすのは楽しかっただろうなあ。
海の中も、水の上でも、砂浜でも、この透明な貝で守られながらプカリと浮かんで360度に広がる外の世界を見ていたんでしょうね。

青い海の中も森のように豊かだから、ここは青森と言われるようになったんでしょうか?
さまざまな種類の貝や魚たち。彼方から打ち寄せ続ける青い波たち。
津軽民謡の艶やかな歌声。津軽三味線をはじき続ける強く繊細な指たち。
そして美味しくて誇り高いご馳走たち。
美しさの結晶がきらきらです。そんな青森にちょっとくらくらです。

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黄色いマルタに黄色いキニー

地中海に浮かぶ黄色い岩の島、マルタ。
今回の滞在はほんの2泊3日。
風吹きすさぶ古代遺跡に会いに行くことも、サボテンの実を食べながら中世のままの町をうらうら歩くことも、目がくらむほど青い海を絶壁から仰ぐこともできないので、ひとまずキニーでマルタ気分。
このキニー、ドクターペッパーやガラナのような味で、少し苦みがあるのが特徴。ルートビアにも似てるかな。
ふだんは炭酸飲料を飲まない派なのに、旅に出るとなぜか炭酸が欲しくなるのです。
サモサ似のピーケーキとミートパイ、そしてキニーで軽く腹ごなし。
ホテルの部屋のテラスで暮れなずむ空を見ながら・・・といきたいところだけど、周りは工事中の建物だらけ。
どこの国もどこの町も建物だらけで、いつか同じ風景になってしまうのですかね。
島内の石切り場から採られた石で建物を造り続けているために、黄色い建物、黄色い光にあふれているマルタ。
青い地中海に浮かぶこの黄色い光が、いつまでも色褪せずに生き続いていきますように。
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暗闇のタモン湾からのかけ声...

更新を怠りすぎたため更新の仕方を忘れていたけれど、記憶のかけらを釣り上げて更新しました。
読んでいただいている方、ありがとうございます………………。

さて、グアムに行っていました。
日中はお仕事三昧なので、ホッと自分の写真を撮れる時間というと太陽がとっぷり暮れてからと、太陽が上がる前の時間。まさしく光のない暗闇の時間なのです。
光がないのにどう写真を撮るか?
何が写るかわからないままにホテルのテラスからタモン湾に向け三脚を立てて露光3分。
誰も起きていないだろう未明、真っ暗闇の海のほうから声がするのです。
エッホ、エッホ、エッホ、エッホー……..
写してはいけないものが写ってしまうかと怖がりながらシャッターを押すと、波間に何やら長いものが。スローすぎて物体が溶けて写っているけれど、何やら長いものが動いているらしい。やけに威勢のいいかけ声からして、おそらくレガッタなのでしょう。
日中は暑さのためかハッファデ〜な彼らが、観光客達が眠っている間にこんなにストイックなレガッタをしているなんて、やはり人は一朝一夕にはわかりません。
先入観は、自分の頭の中だけのもの。五感を澄ませてみたら感心することがたくさんあるんでしょうね。
なかなかいい所ですよ、グアム。
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フォトエスパーニャにいってきました。

14年ぶりのマドリッド。
バックパッカーならぬリュックサッカー(?)として旅をしていた時のスタート地点。
その時の期待と嬉しさと危機感を思い出して歩いてみたけれど、今はなんだか退屈で忙しいだけの街になっていた。
あ〜あ、と思っていたら、偶然やっていた「フォト・エスパーニャ」。マドリッドでの写真のお祭り。
ゲットー生活を撮りためた写真を土に埋めて隠していたユダヤ人写真家、歴史的瞬間の中に仮装した自分を忍ばせる森村康昌さん、庭園の丸い電灯を撮って「planet」とタイトルをつけた若手写真家、意味も絵も素晴らしいユージーン・スミス、などなど。
今ではボタンを押せば全自動で写る写真。
毎日世界中で何万枚もの写真が撮られていることだろう。
たかが写真。病を癒したり、自然災害をくい止めたり、命を救ったりすることもできない、ただのペラペラの紙ではあるけれど。
でも、何かを伝えたり、それを見つめる誰かを「そこではない何処か」へ連れていくことだってできる。
誰かにとって意味のあるものをつくれているか、残る価値のあるものを残せているか。
記憶を美しく作り替えてしまう脳、に張り合うだけのものが撮れているだろうか?
念入りクリーニングは、カメラだけじゃなく、シャッターを押す撮り手のココロにも必要なんだなあ。
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天国への扉,横の空き地のサバイバル

刺すような強い陽射しのもと、天国への扉を探して歩いていた時のこと。
もう少しで到着しそうなところでお花畑があった。やっぱり天国の近くにはお花が咲いているんだなあ。
のほほんと景色を味わっていたら、にわかに人が風が騒ぎはじめた。
騒ぎの中心を追ってみると、先頭に小さな白ウサギ、次にその白ウサギを追いかける大きな白犬、その犬を追いかける白いズボンの男、その後ろに白犬の飼い主......まるで「大きなカブ」の話のように、見事につながってぐるぐるぐるぐる。
とはいえ、白ウサギにとっては命がけ。おばあちゃんといつものようにお散歩に来ただけなのに、こんな怖い目に遭うなんてなんとも可哀想なことこの上ない。でも犬だって、山で野うさぎを見たら追いかけるように言われてるから追いかけただけのはず。なんとか無事に白ウサギは逃げ切れたけれど、もう目は真っ赤だし、その激しい呼吸は30m程離れた私からもわかるほど。
天国への扉に近くても、生きていくのは大変なことなんだなあ。毎日が実はサバイバル。
そうそう、天国への扉というのは、ローマの川の近くにあるんです。
警備が厳しいなかで警官の目をくぐってササッと写真を撮ってみたけれど、なんと目で見えていたはずなのに真っ白に輝いて形が写っていない! きっとまだまだ未熟者の私が天国を撮ろうなんておこがましい、ということなんだなあ、なんて。
ああ、露出って難しい.....。
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水に沈んだデッドエンド

所変わってアメリカ南部。ナッチェスからルイジアナ州に向かう61号線を南下する途中、車がなぜか右折した。
「びっくりするものを見せてあげるよ。」
大きな綿菓子のようなふわふわウォルトくんが、得意気に言ってきた。
着いたところは.....水に沈んだデッドエンド。
水紋ひとつない静かな水面から木々が伸び、無人のスクールバスが無造作に取り残されている。
続いているはずの道が、水の中に消えている。
一見美しいけれど、ひたひたと怖さが忍び寄ってくる光景。
激しいカトリーナとは違う、静かな、けれど確実な水の襲撃。
かつて黒人奴隷というシステムに襲われながらも、逞しくジャズを生み出したこの土地。
その同じ場所を、今度は水が襲っている。
この水の挑発から、今度は何を生み出すのだろう?
細く白い水鳥が、思わせぶりなイントロのように、やけに大きく羽を広げた。
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青いつなぎと生まれたてのクルーズシップ

またひとつ新しいクルーズ船が海を彩る旅に出る。
フランスの造船所から処女航海の出発地ドーバーへ向かう、まさしく初の(プレ)航海。
その前夜、船にお祝いのシャンパンを浴びせる竣工式が開かれた。
黒服フォーマルの人々が観客席を埋めつくす中で、私の2列ほど前の女性のところへ、鮮やかな青いつなぎ服の男性がひとり近づいてきた。
「これが僕たちが作った船だよ、ハニー」「まあ素敵、いよいよなのね...」なんて話しているんだろうか。
純白色の大きな船が、西からの逆光に照らされてその輪郭を溶かしていく。
青いつなぎの彼は乾杯のような短いキスをして、これから始まる行進の列に戻っていった。
沢山の人々の、それぞれの想いや優しさが結ばれて完成したクルーズ船。
ゆるやかな波に乗って、これから沢山のストーリーを育んでくれますように。
ささやかな愛を込めて。
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